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SNGから紡ぎだされたブログです。                          - 新月の夜を経て、空は黎明を迎えゆく -

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深く脆い
最近暑いですねぇ。
冷房とか扇風機つけるとちょっと寒い気もするし、
かといってつけないと暑いし…。
台風8号が列島上陸ってマジか、と思っていたのもつかの間
勝手に温帯低気圧に変わって消滅しちゃって拍子抜けです。

7月入ってからというもの、
陛下に翻弄される日々が続いております。
テンション低めで生きてますので、新しい何かがもたらされただけで
ものすごくテンションがあがってしまうのです。
SNGからのお友達と繋がっているアカウントとは別に、
SH・LH専用アカをつくりました。

同じものが好きな方々とたくさん繋がれるのはとても嬉しいですし、
関連イラストや創作、考察、叫びなどを聞いていると
やっぱりこちらも刺激されますね。

ただ生きているだけの私ですが、
刺激があることがいいとも、刺激がないことがいいとも言えません。
どう過ごしていたらよくなるのかわからないまま日々を過ごしています。
これは惰性なんじゃないか、と思う時もある。
自分を100%肯定できない自分。
せめてもう少し上手に生きられたなら。



とあるフリーゲームについてしつこくおススメなんてしてしまいましたが、
人を選ぶ内容だったのか、とちょっとびっくりもしました。
主観的すぎたのかもしれませんね、反省。
ただ、すごく共感出来たお話でした。

ネタばれしない程度に書けるかわからないので折りたたんでます。

主人公は精神科医を目指している大学生。

ここの段階で、ちょっと親近感湧いてしまってるんですよね。
私も心理学を学んだ身ですので。
だからといって実生活の役に立っているかと言うと違うかな。
カウンセラーとかそういった専門職につかない限りは、それっきりになってしまう感じ。

それ以上に、なぜ、その学問を選んだのかという始まりのきっかけが一緒だったんですよね。

そして登場するキャラクターの魅力。
皆それぞれ個性があって、抱えている問題が違っている。
そもそもの原因は一つだけれど、苦しみは、背負っているものは違う。
コンプしてないので語るには足りない部分あるけれど、
本当にどのキャラクターも愛しくて、切ない。

そしてそれぞれのキャラクターに自分を重ねてしまう。
共感、というかもしかしたらそれ以上に重ねてしまう部分もあったかな。
それは私が育ってきた環境がそうさせているのか、
それともどんな家庭に育った人間でもそう感じる部分があるのか。




関係ないことを適当に言いますと。

家族という存在はどういうものか。

血の繋がりがある集団とでもいいましょうか。
切っても切れない何か、があります。
愛情とか、そういった情と切り離して考えると、それは絆かもしれないし、縁かもしれない。
プラトニックや家族狩りなんか見てて思いますけど、
閉鎖的で檻のようなものであるともいえるかなと、個人的には思います。

遺伝子上の繋がりを大切にするのももちろんですが、
どちらかというと、魂同士の繋がりを大切にしたいと思ってしまう。
それは家族との繋がりとはまた違う。


私は家族と、すこしばかり疎遠です。
両親は離婚したし、妹は病気がち。
そんな中で必死に生きていかなければならなかった。

どちらの親からも、「あなたのそういうところ、父(母)親にそっくり!!」と言われた。
嫌いきってる人物にそっくりだと言われる人の気持ち、考えたことがあるのだろうか。
少しでも長く暮らしていたら考え方などは多少似るだろう。
ましてや家族。
私のアイデンティティはどちら側にも偏れないまま来てしまったように思う。

父のことが嫌いな母と妹。
その中で私だけが父から毎週かかってくる電話に出る。
そこでなにか悲しいことや辛いことが生じたとしても、言えない辛さ。
言ったら相手方を罵ったり、批判したりする。
そんな言葉を聞かされるのは当時相当しんどかった。
それでも彼らは私の親だからだ。
子供にとっては絶対の存在だからだ。

そして妹は病気になり、私は顕著に家族と言う枠組みから外れたところにいた。
私は何も知らされず、母と妹だけが共有している多くのことがあった。
知らないために言ってしまった言葉のために怒られることもあったし、
私自身も避けていた。
それは防衛本能だと思う。
両親のこともうまく自分で処理できず、受験も控えている。
元から妹は母に似ているし、私は父に似ている。
とても居づらかった。
とても生きにくかった。
父はあまり妹を可愛がらなかった。それを母は可哀想に思っていた。
母は私を父にそっくりだと怒った。妹は父が嫌いだった。
そんな母と妹と一緒に、父がいた頃よりずっと長く生きていかなくてはならなかった私は
可哀想、の対象外だった。

お金の問題もあって奨学金を受けなければならなかったし、
奨学金は成績が良くないと貰えない。
私は状況に迫られる形で、求められる、そうであるべき私像を押しつけられた。
強くなくてはいけない、優秀でなくてはいけない。
母に心配をかけてはいけない。父を不快にさせてはいけない。
我慢しなくてはいけない。家計を助けなければいけない。

大学時代は最初の二年は本当に勉強が忙しくて遊ぶ暇がなかった。
あとの2年は、ゼミで知り合った子たちと、親友のおかげで
自分を出していくことが出来て、楽しかった。

就職して年々辛くなっていった。
年下なのに、年上の後輩、経験豊富な後輩ができる。
プロジェクトのリーダーにさせられた。
同じような情熱を持ってくれる人がいなかった。
それも辛かった。

尊敬していた先輩と業務改革のプロジェクトをやっていたときが一番楽しかった。
大変だったけどやりがいがあったし、先輩がフォローしてくれた。
選抜制だったからみんな目指すところは一緒でそれが良かった。

だんだんと期待されてしまい、昇級試験を受けたりリーダーをやったりしていて
荷が重くなった。

一番仕事が積み重なってしんどかったのはやっぱり去年。

お客様担当のチームリーダー(チーム内のお客様全員をフォローできてなくてはいけない)
アクティビティのチームリーダー(毎月の大イベントと毎日のアクを考える)
昇級試験を受ける人への指導実技
新卒研修や、中途採用者の実技指導の応援要員
もっと出来る社員になってほしい的なプロジェクトへの参加
国家資格の講習の参加と勉強
チームメンバーのプラン更新の指導

頭おかしくなるかと思った。
なんでこんなにやらなきゃいけないことが山積みで、
私に責任や負担が偏ってるんだろうって。

息をするのもしんどくて辛くて。
担当のお客様の状態が急速に悪化して追いつけなくて。
プラン更新しても追い付かない。
なにもしてくれないと、言われる。
こんなに一生懸命やってるのに、もっとやれ、もっとしてあげろと言われる。

思いだしたらやっぱりつらい。
苦しい。

たくさんたくさん我慢して、必死で求められる姿であろうとして。
壊れたのだ。
感情を失くしていけば何も感じなくなるから、辛いと思わなくなった。
そして体調を崩していった。
胸が苦しくなったり、息が苦しくなって、でもなにが苦しいのかわからない。
職場でも家でも孤独感でいっぱいで、支えてくれるものがこの時なかった。
産業医に相談に行こうと思いながらも怖くて先延ばしにし、
クリニックに行ったのは、出勤中に過呼吸を起こして、死ぬんじゃないかと思ってからだった。

人を信用できず、信頼できず、コミュニケーションが苦手。
人との繋がりや愛情、安らぎを強く求めながらも、それから逃げようとする矛盾。
こんなにもめんどくさい人間、そうそういない。
永遠でなくてもいい。刹那、私のことを肯定してくれたら、それだけでいい。
むなしい人間。

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