SNGから紡ぎだされたブログです。 - 新月の夜を経て、空は黎明を迎えゆく -
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つっても2曲だけですけど^^;
そうしましたら那岐の曲にヤラレタ!
それは「ブルーグレイ の 夜明けに 君を」です。
『君のためなら僕は~』 というなんとも切ないところからスタートする曲でして…。
初めて聞いた時は泣きそうになってしましました;;
プレイしてから結構経っていますし、改めてこんな風に思っていたんだなと思うと><
にしても、いつも思うのですが、宮田さんは凄すぎますね!
キャラの声をキープしつつ完璧に歌い分けていらっしゃる所が素晴らしいと思います。
どちらかというと弁慶よりの声ですけど、でもやっぱり那岐なんですよねぇ!
すごっ。
で、なんでこんなに私は涙もろいのか考えてみたわけです。
そうしましたらなんだか自分的には納得のいく答えのようなものが見つかりました。
なるほど。
以下、その話です。
****
何かを見たり聞いたり感じたりして、涙もろくて泣いてしまう。
泣くという行為には二つの種類があるんじゃないかと思うのです。
自分のために泣く行為と、人のために泣く行為。
前者は自分可哀想、とか自己憐憫の類ではなく。
自分の体験などから生まれた、自己の感情にしたがって流す涙。
悲しみ、苦しみ、辛さ、嬉しさとか、あるモノからの解放、喪失…。
そういったものから自然と流れてしまうモノ。
これはたぶん、早い段階で誰もが身につける“泣く行為”。
そして後者。
これは人と接したがために生じたモノから泣く行為。
年齢を重ねるだけ人とのかかわりも広く深くなっていき、そこから得た感情や想い…。
自分になかった考え方や信念、想い…。
それらを受容して自分の中にとどめ置く。
いつしかそれは、人のものではなく、自分のものとしてしっかりと刻まれていく。
それらは心に糸となって幾重にも張り巡らされて、琴線となる。
ふとした出来事がその琴線に触れたなら、
かつては人から生じたモノが、すでに自分の想い、考え、感情になっていたが故に涙が流れるのだ。
これはたぶん、個人差はあれども遅い段階で、誰もが身につけられるわけではない、“泣く行為”。
でも涙もろいのってどっちかといえば後者のほうが私は多いです。
たぶん、歌を聞いたり、歌ったりして泣いてしまうのは、そういうことではないかと。
もちろん、前者のほうの思いも含まれる時だってありますよ。
別に泣かないのが悪い、ということでは全然ないのです。
目に見えない涙を流す人だっているだろうし。
ただ、涙してしまうくらい感じられることは、悪いことではないだろうと。
そう思うんです。
ってことを、うちの子の黒猫で言いたかったんですよ!
本当は。
でも白銀の件で力尽きた…。無念。
皆様はどう思われるでしょうか??
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