SNGから紡ぎだされたブログです。 - 新月の夜を経て、空は黎明を迎えゆく -
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心の戦争
もうすぐ半年経つのです。
完全なる鬱独白。
でもこうだったんだって、形に残した方がいい気がしたから。
完全なる鬱独白。
でもこうだったんだって、形に残した方がいい気がしたから。
クリニックに通院を始めてから6か月。
休職してから5カ月が経ちました。
適応/障害との診断でした。
正直、初めて診断名を聞いた時ショックを受けました。
ずっとギリギリのところで踏ん張っていて、私が倒れたら生活が立ちいかなくなる、
私まで働けなくなったら大変だって思って、生きてきました。
だから、初めて通勤中に過呼吸になってうずくまった時、もうダメだと自覚しました。
泣きながら直属の先輩に話した姿を何人かに目撃されました。
胸が痛くなったり、息が苦しくなったり、息をするのさえ身体がしんどくて出来ないこともありました。
チームとプロジェクトチームとのリーダー両立で疲弊していました。
私の担当している方々がどんどん状況が変化していって
心を痛めながらなんとかその方々が少しでも楽に生きられるようにと勤めました。
でも、シフトの業務的負担が過多すぎて、望めるだけの仕事が出来ない。
伝える力のある人が優先され、そうでない人が後回しになったり、対応が行き届かない。
呼び出しボタンを押せなくて、大声で呼んでいても、
呼び出しボタンを押しても、連打されすぎて、1人で対応するのが難しくて、
すぐに行くことができない。
リーダーとして他のスタッフのフォローや指導もしなくてはならない。
プロジェクトも毎月行わなくてはならないし、大きなイベントが月一くらいで必ずある。
その先頭にも立たなくてはいけない。
どんどん心が弱くなっていくのがわかりました。
微笑むことすらできなくて、心ない言葉や、裏返しの言葉に傷ついて涙が出そうになる。
確認作業で声をかけられただけで急かされているように感じて心が痛む。
ただ機械のように、朝起きて出勤して、残業して、ご飯を食べて寝る。その繰り返し。
随分前から、精神科や産業医への相談を考えていたのですが、
なかなか踏み切れず、後手後手になった結果だと思いました。
上司に事情を話して、担当フロアのシフトから外してもらったりしました。
「無理しないで」と言われても、無理しないと生きていけなかった。
薬との折り合いもなかなかうまくいかなくて、約一カ月、苦しみました。
スタッフがいないとのことで、例外で担当フロアの夜勤をして、
朝方別のスタッフがフォローする、という対応をしてもらっても、勤務終了30分以上前から
動くことさえしんどくて休ませてもらいました。
スタッフが通常人数より多いことに疑問を抱かれました。
もう隠せないと思い、上司から伝えてもらうことにしました。
動けないことで、誤解を受けたくなかったから。
そしてどんどん情緒不安定になって、ハロパとオフ会が終わって明日は仕事と言う時になって
泣きました。もう生きていく理由がない、楽しみが終わってしまったと絶望しました。
10月31日。ハロウィンで仮装をしてお菓子を配って残業した翌日から私は欠勤しました。
そして休職しました。
その一週間後にインフルエンザの予防接種があって、職場に行かなくてはならなかった。
病院で受けてもいいけど、いろいろと面倒なので、職場で受けさせてもらいました。
怖かったけど、行ってみたら普通に接してくれて拍子抜けしました。
診断書は2週間でした。
気ばかり焦って、まったく休めず、さらに薬疹?を起こして薬もストップ。
また一からやり直しだってくじけました。
カウンセリングを受けながら、自分と向き合う苦しみ。
毎週毎週、本当に辛い時間でした。よくなってきた今でさえ、辛いです。
夜も眠れず、朝方に寝て、昼過ぎに起きる。
外部からの刺激を一切受け入れず、携帯から得られる情報で過ごし、
ベッドで生活する日々。
先生の言葉や職場のこと、自分がこんなになってしまったことを考え嘆き、泣きながら眠る夜。
そんな日々の中で自分のことが少しずつ分かってきました。
生い立ち的なところで、私は家の中で孤立してきたし、生きにくかったこと。
優秀でいなくてはならず、妹のように甘えられなかった。
私には「やらなくちゃいけないこと」がありすぎた。
仕事でもそうだし、私生活でも。
ご飯食べなくちゃ、あれやらなきゃ、お風呂はいらなきゃ、メール返信しなきゃ、寝なきゃ…。
そんな普通なら大したことないことでさえ、やらなくちゃいけないことだった。
強迫観念みたいに感じすぎていたこと。
でも実際、気力がなくて出来ない、辛い日々だったので、そうでもしないと動けなかったのかも。
そして、感情が欠落していること。
怒る、ということを無意識的に避けていることに気づきました。
嬉しい、楽しい、悲しいはよくて、怒りは敵でした。
私は怒りたくなかった。穏やかでいたかった。人形のようになりたかった。
笑われるかもしれないけれど、空や、方丈庭の景色、菩薩のようになりたかった。
感情が鈍くなっていることに気づかされた。
なんでだろう、わからなかった。
先生が、逆流や荒野に独りでいるイメージがある。と言われた。
それもよくわからなかった。
このころは先生の言葉も理解できなかったり、ちゃんと聞いているのに
途中から聞き取れなくなって頭が真っ白になることが増えた。
それでも長い時間をかけて、少しずつ怒りを感じるようになった。
そのたびに、否定した。怒りたくない。嫌だ。拒否した。
だんだんと抵抗が薄れ、感情を出す瞬間に拒否感を抱かないまま怒れるようになった。
良いことなのか、わからなかった。
先生的には、私が怒ること=殺し合いや拷問に直結するようなイメージがあるからじゃないかと。
まぁ、確かに、って感じでしたが(苦笑)
感情が欠落しているのはわかっているし、このままでいいとは言わない。
けれどもこのまま怒りを取り戻していいものかと迷った。
感情が鈍いままの方が、傷つかずにいられるからかもしれない。
どちらも肯定できずに、現在にいたっている。
今は普通にイライラしたり、怒ることもできる。でも罪悪感がある。
だからまだ肯定できない。
それから、責める話。
私は最初にクリニックに行った時からそうだったし、
それを時々発揮していたからその時に言われていたこと。
かけられた言葉を、脳が勝手に責められていると感じて、自分が悪いと思いこんでしまう癖。
負の転換。これが常に行われている、と言われた。
そして血まみれになる夢を見たことで、無意識に先生を責めていると言われた。
先生を責めてなんていないのに、そう分析されてしまったことが不本意だった。
いつも、黙りこんでしまう私に先生やりにくいんじゃないか
気を悪くしたんじゃないかと思うのも、無意識に責められていると感じていたから、らしい。
そのことについては心当たりがあった。
仕事で、提案したり、業務改革を推進したりしていたころに責められていると感じたこと。
入社してすぐの歓迎会で、ある人が専門を出た子には期待してる、といい、
私の前でそんなこというのは…みたいな空気になった時、「いたの?」みたいに言われたこと。
いつも専門の同期と比べられ、責められているように感じていたこと。
実際、どのくらい責められていたのかはなんとなく実感していた部分と、そうでない部分がある。
どのくらい責められていたのかはわからない。
でも、本当に自分を責めていたのは、誰でもない私だったのかもしれない。
ということも自覚した。
どんどん復帰が先延ばしになっていくのが、本当は辛い。
まだ無理だとわかっているからこその安堵と、またダメだったという悲観、
早く復帰しないといけないという焦燥感でごちゃごちゃになる。
こんな風に過ごしていいのだろうかと不安になる。
みんな働いているのに、私だけこんな生活。
なんとかしないとと映画を借りて感情を鍛えようとしたり、
定期的に外に出るようにしかけたりしてみたけれど、結局、辛くなってやめた。
本当に、これまでの疲れが出たみたいに、またベッドで長い時間を過ごし、寝たきりになった。
でもそのおかげで少し安定したような気がした。
何もしないことの意味が、ここにきてようやくわかった。
5か月かかった。馬鹿みたい。
もうすぐ半年経つから、また少し不安定になってる。
もうきっと、職場に私の居場所はないだろうな。
四月に入ったら、きっと新卒が入るし。私はいない体でカウントしてるはずだから。
戻れたとしても、罪悪感とか、劣等感とか、責められてる気がしちゃうとか、
陰口たたかれたりとか、受け入れられなかったりとかするだろうから。
それなら違う職場に異動したほうがいいのかもとか思ったり。
転職したほうがいいのかなとかも、本当は少し思い始めてる。
まだよくなったとは言えない。
けれど、かなり苦しかった月日を思うと、少しはマシになったような気がする。
でもまだ怖い。
これからまだまだ越えなきゃいけない壁がある。
解決してない問題もある。
簡単じゃない。長年積み重ねてきてしまったものだから。
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